TOURNAMENT
トーナメント実績
1966年8月 | 日本プロゴルフ選手権大会 |
---|---|
1968年10月 | 日本オープンゴルフ選手権競技大会 |
1972年4月 | アジアサーキット総武国際オープンゴルフ選手権大会 |
1972年10月 | 第1回太平洋クラブ・マスターズゴルフ選手権大会 |
1973年10月 | 第2回太平洋クラブ・マスターズゴルフ選手権大会 |
1974年10月 | 第3回太平洋クラブ・マスターズゴルフ選手権大会 |
1975年4月 | アジアサーキット総武国際オープンゴルフ選手権大会 |
1975年10月 | 第4回太平洋クラブ・マスターズゴルフ選手権大会 |
1976年4月 | 総武国際オープンゴルフ選手権大会 |
1976年10月 | 第5回太平洋クラブ・マスターズゴルフ選手権大会 |
1982年11月 | 日米ゴルフ対抗 |
1984年11月 | 日米ゴルフ対抗 |
1987年9月 | 第38回関東オープン選手権競技 |
1998年9月 | サントリーオープン |
1999年9月 | サントリーオープン |
2000年9月 | サントリーオープン |
2001年9月 | サントリーオープン |
2002年9月 | サントリーオープン |
2003年9月 | サントリーオープン |
2004年9月 | サントリーオープン |
2005年9月 | サントリーオープン |
2006年9月 | サントリーオープン |
2007年9月 | サントリーオープン |
2013年5月 | 日本プロゴルフ選手権大会 |
2015年11月 | HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP |
2016年11月 | HEIWA・PGM CHAMPIONSHIP |
2019年5月 | アジアパシフィック オープンゴルフ チャンピオンシップ ダイヤモンドカップゴルフ2019 |
日本ゴルフ選手権競技大会(1966年)
日本のゴルフトーナメントで最も長い歴史と伝統を持つこの大会が総武カントリークラブで開催されたのは開場からわずか2年後の1966年。最高気温34度という8月の酷暑の中で開催されたが、天候には恵まれコースコンディションは最高の状態で行なわれた。
総武カントリークラブの厚意で、当時では画期的だったギャラリーの集まりやすい日曜日に決勝ラウンドを行なったことで各方面の支援を得、大会は大いに盛り上がった。
この試合の勝者は河野光隆プロ。トータル17アンダーという見事なスコアで2位に3打差をつけ日本プロゴルフ選手権連覇を果たした。
日本オープン選手権大会(1968年)
日本プロ開催から2年を経過した1968年に大改造された総武カントリークラブ・総武コースの東・中コースで行われた。この2年間に行なわれたコース改造によりコースの難易度が大幅に上がっていた。
決勝ラウンドは朝から激しい雨で気温も低く各プレーヤーとも大苦戦であったと記録されている。
この試合は和製ビッグスリーの一人、河野高明プロが2位のブルース・デブリン(オーストラリア)に1打差をつけトータル4アンダーで優勝した。
アジアサーキット総武国際オープンゴルフ選手権大会(1972年)
この大会は過去10年間、他のコースで開催されてきたが、諸般の事情によりそのコースがこの年に開催をキャンセル。総武カントリークラブが急遽50日前に開催を引き受けた。アジアサーキットの日本での開催を継続しようとする関係者の努力の末に開催された大会だ。
最終日には1万5000人という驚異的な数のギャラリーが来場。関係者の努力が実り大会は大成功に終わった。優勝は最終日に“64”というスコアをたたき出した台湾出身の謝敏男プロ。
太平洋クラブ・マスターズゴルフ選手権大会(1972~76年)
日本屈指のビッグトーナメントのこの大会(※現在は「三井住友VISA太平洋マスターズ」)は1回目から5回目まで総武カントリークラブで開催されていた。当時としては破格の1億円の賞金がかかっていたため、海外からもビッグネームが多数参戦、大会は大いに盛り上がった。
この大会に合わせ、世界的なゴルフ場設計家ロバート・トレント・ジョーンズ親子と総武カントリークラブの設計家でコース委員長だった富澤誠造によりコースの改修が行われ、総武カントリークラブは日本を代表するに相応しいトーナメントコースとなった。
第1回はゲイ・ブルーワー(米国)がデビッド・グラハム(オーストラリア)とのプレーオフを制し優勝。
第2回はジャンボ尾崎こと尾崎将司がプレーオフの末優勝。ジャンボは最終日22位タイからスタートしたが決して勝負をあきらめない粘りと気迫でビッグタイトルをものにした。
第3回と4回はジーン・リトラー(米国)が連覇、第5回はジェリー・ペイト(米国)が優勝を飾った。
日米ゴルフ対抗(1982&1984年)
1971年からはじめられたこの日米対抗戦はこの年度より日米の両公式機関の特別公認試合となり、その舞台として総武カントリークラブが選出された。前年までは“年度ベスト8”の選手が出場する規定だったが米国側は選手の入れ替えなどがあり充実した顔ぶれではなかった。
しかし、総武で開催されたこの大会にはトム・ワトソンやクレイグ・スタドラー、レイ・フロイド、トム・カイトなど錚々たるメンバーが来日。迎え撃つ日本側も中嶋常幸や青木功、杉原輝雄、倉本昌弘など今では永久シード保持者として知られる一流ゴルファーが集まり、この大会も日本のゴルフファンたちから大きな注目を集めた。
82年・84年の大会ともに団体戦は米国チームが日本チームを圧倒した。個人戦は82年にはピートとギルダーが8アンダーで優勝を分け合い、84年はワトソンが尾崎直道とオメーラを抑え優勝した。
サントリーオープンゴルフトーナメント(1998~2007年)
この試合は永らく近隣の習志野カントリークラブで開催されていたが、諸般の事情により隣接コースでもあり、数々のビッグトーナメントを開催した実績から総武カントリークラブで開かれることとなった。
総武でトーナメントが開催されたのは1987年の関東オープン選手権競技以来実に11年ぶりだった。開場から30年を過ぎ、幾多の改修と年月を重ねたことによる重厚さを得たコースは難易度をさらにあげ、プロの中には「一番難しいトーナメントコース」と評する者もいたほどだった。
98年の優勝は小山内護プロ、99年にはニック・プライス(ジンバブエ)、00年は真坂潔、01年と02年は片山晋呉が連覇、03年はジョティ・ランダワ (インド)、04年は加瀬秀樹、05年は今野康晴、06年はY・E・ヤン、07年は谷原秀人。